江戸時代の日本刀の変化

新刀

江戸時代まで製作された日本刀は古刀で一括りされていましたが、日本の元号である慶長を機にそれ以降から製作された刀はすべて「新刀」と括られることになります。
新刀の重要ポイントである吉井川の氾濫は新刀の始まりにおいて欠かせません。
江戸時代までの刀鍛冶中心地であった備前長船一派が吉井川の氾濫によって壊滅したのです。
壊滅状態からすぐに立ち上がることはできず、備前長船は一時期休止していました。
その間に各地の大名たちは備前長船の代わりに美濃の鍛冶を頼りました。
新刀の基本的な素材は地鉄です。
それも今まで使われていたような地鉄ではなく、キレイな地鉄になります。
徳川家が200年続いたことにより、天下が安定し、全国各地で一定した鉄が流通できるようになったことで地鉄の質も向上しました。
江戸時代でつくられた刀について詳しくみていきたいと思います。

江戸時代~初期にかけて

江戸時代に入るとさまざまな法律が制定されました。
武家や町人など身分によって打刀や脇差など差し科の寸法が厳しく取り締まられたのです。
江戸時代に入ったとたん大小差しが一気に流行し、短刀や作刀といったものは普及しなくなりました。
大小差しの注文が相次いだ鍛冶屋は非常に儲かったと言われています。
繁栄した分、技術面も向上し、江戸初期にはたくさんの名工も生まれました。
江戸の越前康継や京の堀川派、大阪の親国貞、肥前の忠吉一派、薩摩の波平一派などが挙げられます。
中期は刀剣の身幅が変わっています。
先身幅が狭くなっており、目立つ反りではなく、できるだけ浅い反りで造られています。
刃の長さは全長2尺3寸(約70cm)のものが多いです。
寛文に多く製作されていることから寛文新刀と呼ばれています。
剣術稽古で使われている竹刀に姿かたちが似ている刀です。
江戸時代においても代表的な刀の形となるでしょう。

新々刀に移る元禄期

1688年~1704年頃になる元禄期になると新刀から新々刀に移り変わってきます。
新々刀の特徴は新刀よりも反りや深くなっており、斬新的で美しい形をしています。
新々刀は明治時代の初期まで続くことになります。
武士が使う刀から日本刀を飾るものとしての形に変わっていくことになる基盤となった刀とも言って良いでしょう。
観賞用の刀としては最適なものです。
製鉄技術が向上したことにより綺麗な鉄を使って刀をつくることができ、海外からやってきた技法である洋鉄精錬技術を用いた刀も多数みられます。
多少鉄の質は落ちることになりますが、斬新敵な刀も製作されるようになり、身幅が広く、反りがついており、切先は伸びているタイプのものがあります。
色がついている鉄を利用されたりとさまざまな新境地を開いていった時代でもあります。

大きく時代が変化した幕末期

TVやドラマのテーマとしてよく取り上げられる幕末期は日本の歴史の中でも大きく時代の流れが動いた時期でもあります。
幕末期の刀は主に“復古新刀”と呼ばれています。
刀の長さは2尺5寸あたり、重ねが厚くなっており、反りは浅いタイプの刀です。
桜田門外の変や天狗党の乱など佐幕派と尊皇攘夷派の争いによってたくさんの出来事が起こりました。
そのような中、勝手が効き、女子にも利用することができる短刀や長くて大きい刀を利用する武士も増え、江戸時代初期から製作が少なくなっていった刀が幕末期になり一気に増えていったのです。
作刀も繁栄していきました。
時代の変化によって必要な刀も変わっていくことはとても興味深いことです。